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「不揃いであること」と「型」について

こんにちは。Nayuta 前田耕平です。

あたたかみや、「美」を感じさせるものとして「不揃いであること」がひとつ、重要だと思っています。

丁寧な仕事をした結果として自然な不揃いさが生まれること。
オートメーション化し過ぎると起こり得ない不揃いさ。ある種の揺らぎ。情緒?
音楽でいうところのアドリブとかシンコペーションとか、そういうもの?

機械的に、あまりにも整然としたものは変化が無く無味乾燥して見えて魅力を感じることは少ないように思います。
どこかに不揃いさがあってこそ、美しく見えることが多いですがそれは「ただただ雑」なのとはもちろん違います。

徹底した基礎練習に裏打ちされた「型」があることを前提にした「遊び」。それが「美」に昇華するのだと思います。
芸術でもスポーツでも文化でも、日常的動作でも同じだと思います。師匠の存在と反復練習めっちゃ大事。
(不思議なことに、例えばボクサーは「ボクシングで勝つ」ことを目指して練習をしていていますが、でも強いボクサーはフォームやちょっとした動きも綺麗。)
大学時代の柔道部の恩師、奥田義郎先生がよくおっしゃっていたように、技術とは「最小限のエネルギーで最大の効果を発揮すること」だとすると、
最大の効果を発揮する技術は最小限のエネルギーによって成されたものであり、つまり余計なものがなく美しく見えるのだと思います。
建築とかもそう。機能美を徹底的に追求すると、結果として造形美に収束していくことはよく知られていること(その究極は「野生生物の生態」なのかも知れません)。

こういったことは接客でも料理でも同じだと思います。
日々懸命に修練し、心を込めて「基礎」を固め続けると(「基礎固め」も果てしないですが)、
どこかで良い意味での「遊び」が生まれ、結果「いい感じ」に見えるのだと思います。

法治国家の構成要素である「法律」と「文化」も、そういう関係なところがあるのかも知れません。法律だけでも文化だけでも、コミュニティはなかなか長続きしないもので。

古典には「守破離」とか「温故知新」とか上記のようなことに関連する、学ぶべきことが多いと本当に思います。

我々も日々鍛錬を継続し、どこかで遊び心や"ハズし"も忘れず、担雪埋井の精神で日々精進して参りたいと思います。

写真は「不揃いの美」の最高到達点。魂を感じます。
そう、早良区は藤崎、みんな大好き「大助うどん」のごぼ天うどん。
学びに溢れています。

前田耕平

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